2008年05月23日


パンクラス勢が離脱後、私は組長の元に残った。1月16日、開催中止が囁かれた藤原組後楽園ホール大会。メインまで藤原組長以外全員外国人選手だった。『やはり組長独りになってしまったのか・・。』皆一抹の寂しさを持ちながら席を立とうとした、その瞬間、会場が再び暗転し『本日の“最終試合”』とコールされ、その日初めて石川雄規の名前が呼びこまれた。後楽園ホールが歓声に揺れた。もちろん誰もデビューしたての石川雄規なんて知らない。でも『藤原の元に“若いヤツが”残ったんだ!! 』という希望の光だった。既に泣いている人もいた。組長と私の実力差は歴然。試合は数分で決まった。しかしそこから、俺は何度も何度も藤原さんに挑んだ。客席は全員泣きながら、ただただふたりの闘いを見つめていた。組長がリングサイドの、組長の親友であり私の恩人である空中氏の遺影を抱き締めた。
終了のゴングが鳴らされた。試合後、後楽園ホールの駐車場で組長を待つ青年がいた。アニマル浜口ジムの船木勝一が泣き腫らした目で入門を直訴した。組長は『またフナキか・・イヤな名前だ・・』とニヤリと笑い、入門を許可した。俺はの心の中で、新生藤原組の試合開始のゴングを聞いた気がした。
posted by 石川雄規 at 01:48 | 日記
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