2008年12月31日


P1020260.jpg創成期のバトラーツにおいて、石川vs池田は黄金カードだった。他のメンバーも激しかったが、石川vs池田はどこか超越していた。その激しさは尋常ではなかったのだ。それを称してマスコミが“バチバチ”という言葉を使い始めた。もちろんそれはただの大雑把な“ガマン比べ”でなく、緻密かつ激しすぎる“闘い”だった。「世間が俺たちに気付くのが先か、俺たちの身体がぶっ壊れるのが先か。」バトラーツという“若手軍団”を軽視し、黙殺する世間や業界への宣戦布告だった。
今、少しばかり“アタリ”が強い試合を“バチバチ”と言うが、冗談じゃない。そんな陳腐なものではない。俺たちは身を削り、魂を削り、世間や常識と闘ってきた。そして今もだ。だからバトラーツ、そしてバチバチなのだ。
池田はノアに移籍したが、やはりこの魔界が恋しくなったのだろう、安住の地を捨て、己がすべき宿命の闘いの場に帰ってきた。そしてフーテンプロモーションを立ち上げ、「バチバチ」という大会名を立ち上げたのだ。バチバチという言葉は池田大輔の表現する闘いの場の名前。石川雄規の表現する闘いの場はバトラーツ、なのだ。だから、似て非なるもの。ヘソを曲げたり意地悪な意味ではなく、バトラーツはバチバチではないし、バチバチはバトラーツではないのだ。例えばコカ・コーラとペプシコーラを混同されて使われるのは互いに気持ち悪いものであって、だからこそきちんと理解して差別化してもらいたいものである。
いい試合?激しい試合?気持ちを込めた攻撃?アホか!そんな安っぽいものをバトラーツスタイル、バチバチと言うな。己の背負った宿命の為、身を削り、魂を削り、世間と闘うのだ。それこそが格闘芸術。猪木イズムに源流をなす石川イズム=バトラーツスタイルなのだ。
以前、華名が石川vs池田の試合を映像で見て「格闘なのに清潔なかんじですね。激しい闘いの更に向こうにあるのは清らかな清潔感。人生を賭けた芸術も闘いも、行き着くところは清らかなものなんですね。」と評してくれた。12月28日の女王バチ。及川も華名も清らかで美しかった。宿命を悟り、それに殉ずる覚悟を持った者のみが醸し出すオーラをまとった。だから皆涙を流したのだ。格闘が芸術に昇化した瞬間である。俺は、思いもかけない所で“情念”の後継者を見つけた。 おわり
posted by 石川雄規 at 02:20 | 日記
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