2011年04月13日


1996年4月13日。
小田原市鴨宮の川東タウンセンターマロニエホールにて、バトラーツ旗揚げ戰が行われました。
15年前のことです。

バトラーツが結成された前年に生まれた長男は今春、高校生になりました。
月日が経つのはほんとうに早いものです。
バトラーツを旗揚げしたのが春だから、15周年とあわせて解散記念興行も春にやれたらいいな、と思ったのですが、会場が空いてなくて(せっかくだから、少し大きい会場の方がいいですものね)、ようやくおさえられたのが、実は秋口の日程。

「春に終わりでしょ?」
「春におわりじゃないの?」
「最後だから」
「まだ終わらないの?」
「まだ興行やるの?」
etc
だから・・
もう一度いいますよ。
「二度と興行やらない」
とも
「引退する」
とも、
一言も言ってませんよ。
最後をウリにして何度も引退、復帰を繰り返す人達と一緒にしてほしくないから、何度も言うけど。
(もちろん、バトラーツファンとして深くバトラーツを理解してくれ、私の言葉をきちんと拾ってくれてる方々には、充分理解していただいているだろうから、今さら言う必要はないのですが。
あらためて。)

「解散興行を(バトラーツ旗揚げした時期の)春あたりにやれたらいいな。」
と言ったのです。
そもそも、バトラーツは3年近く前から“団体”ではないのですよ。
道場を閉じ、法人としての雇用形態もなくなったわけですから。
もっと言えば、"団体"という定義を、「所属選手のみで興行が形成できる」というごく当たり前なことに当てはめるならば、バトラーツという"団体"は10年前に団体ではなくなっているんです。
「もう団体ではありません。解散です。」と宣言するタイミングを逸したまま今日に至ってしまったわけです。
所属選手が少なくなっても、法人は残るわけで、アマチュアジム、興行といった我々の表現の場を守る為に、バトラーツに出資してくださっている株主さんが、経営、運営面で様々な形で、バックアップをしてくださりました。(註※1)

現在“バトラーツ”という大会名の、石川雄規プロデュース興行に、いろんな選手があがっている形になるわけです。
見てみてください。8割かた“所属外選手”でしょ。これで、バトラーツという名を封印、解散宣言して何が変わるの?
と逆に俺が聞きたくなります。
“あの時代だから”存在価値を発揮し、伝説を残したバトラーツは、前述のとおり時代と共に形が変わりました。
いずれ
「バトラーツまだやってるの?」
「だいたい、団体じゃないじゃん。」
そう言われるようにます。
区切りの良い15周年に“解散”を宣言し、

「かつてバトラーツという団体があった」
と、語られる伝説にしたいのです。
まだ価値の褪せないうちに。
業界に必要とされていなくても、バトラーツファンに必要とされているうちに。
大切な写真は、そのへんに転がって忘れ去られないよう、アルバムにしてしまっておきましょう。
決して忘れないように。
バトラーツという、時代に爪痕を残した奇跡の団体が存在したことを。
そして、石川雄規の情念イズムは、これからも変わらずユラユラと炎を燃やし続けます。“本当に必要なこと"と“時代にウケること”はかなりのタイムラグ(時差)があります。 時代が忘れようと、時代にないがしろにされようと、己の信念は曲げない。
カール・ゴッチイズムは、最後の弟子の俺が継承する。
ゴッチ、藤原から受け継ぐ血脈。石川の格闘芸術を受け継ぐ遺伝子をこれからも淡々と育ててゆきます。

◇バトラーツ15周年&解散興行
〜ONCE UPON A TIME BATTLARTS〜
◇11月5日(土)
◇新宿FACE
◇夜
他詳細未定。

まだ先になるけれど、ぜひ予定に入れておいてください。

北千住大会にまだ出てない、アイツも、復帰したみたいだから、声かけてみようかな。
バトラーツの歴史には外せないからね。


註※1
藤原組時代からたいへんお世話になっている石田勲バトラーツ相談役会長。
そして、法人バトラーツの一番窮地である時に、実務の面でたいへんな尽力をくださり、また、選手の表現の場、生活を守るための雇用の確保に石川屋を展開してくださった高橋太郎社長。お二人には、このバトラーツの15歳の誕生日の今日。この場をおかりして御礼を申し上げたいと思います。

また、あわせて長年にわたり選手の体のケアをしてくださった、越谷市宮本町の橘接骨院の橘先生。ありがとうございました。

そしていつも熱く支えてくださっているファンのみなさま。ありがとうございました。

(こう書くと最後みたいだけど(笑)お付き合いはまだまだ続きますが、15周年の区切りということで)
posted by 石川雄規 at 13:27 | 日記
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