2013年04月27日


DSC_0621.jpgDSC_0620.jpg用事があり、茨城県の常総市に。
お城が見えたので近くに行ってみた。
すると、その隣に古くボロい(笑)体育館。なんか見覚えがある。

石下町体育館。

ああ!

ここだったのか!
バトラーツ旗揚げ当時、関東ローカルをひたすら回って興行をやった。
川越、北川辺、安中、牛久、ひたちなか、芳賀町、加須、多古町、そしてこの石下町・・etc,。営業部門のスタッフがあちこち探してくれていた場所。当時は位置関係は気にせず、とにかくセッティングされた試合をやり抜く日々。今あらためて場所を見ると、よくまあこんな所見つけたな、というほどの田圃、畑の中、バスでしか行けない場所(笑) そんな土地にある小さなひなびた体育館。

世間がバトラーツに気づくのが先か、身体がぶっ壊れるのが先か、の明日なき闘いの日々だった。

そう、そんな中の石下町。
忘れもしない。
地元のチンケな田舎ヤクザの妨害により、ポスターははがされ、チケット売れないよう地元の販売協力店に圧力等で、当日観客は12人。
そんな中、より一層燃えた選手達。
12人の観客の前で、いつにも増した熱すぎる試合を展開。
メインなど、30分ドローの死闘。

それを観て感動した12人の中の2人は、翌日の、あの、伝説の多古町民体育館大会にも来てくれた。

そんなふうに、文字通り身を削り、地道すぎるほど少しずつでもファンを増やしてきたバトラーツは、
3ヶ月で潰れると言われた旗揚会見から、1年足らずで後楽園ホールを連続満員にし、その翌々年、両国国技館大会を成功させたのだった。

わらしべ長者みたいな、お伽話・・・
バトラーツ物語。
posted by 石川雄規 at 16:38 | 日記
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